八廓街に面したジョカン寺の正面(拡大) 折からの法要の様子を見守る信者たち お坊さんたちの読経がしめやかに響いていた(拡大)
ジョカン寺の観光が終わると、いよいよラサを後にして、ヤムドク湖に立ち寄り、ツェタン(沢当)に向かう。バスで280kmも走ることになる。途中の道路沿いに、崖に彫られたたネタンの大仏を見た。その鮮やかな色は印象的だった。さらにヤルツァンポ河から離れ、ヤムドク湖を目指してカムパ・ラ(峠)を登りはじめる。ヘアピンカーブもある長く果てしない峠だ。ヤルツァンポ河は遙か彼方に遠ざかり、上へ上へと登っていく。標高が4749mになるまで登る。すると急に眺めが変わり、眼下に真っ青なヤムドク湖が見えた。遠くには雪を頂いたノイジンカンサン峰が見え、なんとも美しい。みんなで歓声を上げた。
そういえば思い出したことがある。安東浩正という青年が1995年の冬に、自転車でネパールのカトマンズからヒマラヤを越えてチベットのラサに到った体験を描いた「チベットの白き道」という本の中で、このヤムドク湖畔にテントを張り、カムバ峠を下ったことが語られていた。彼はシガツェという町から、ラサへ出るのに、バスで6時間の舗装された新道が出来ているにもかかわらず、あえて5000m級の峠2つを越える巡礼の道、バスで2日間かかるがたがたの旧道を選んだのである。 「ラサに着くことだけが目的ではないぼくにとって、短絡的新道を選ぶことはもはや堕落者への道をゆくように思われた。どちらの道を選ぶべきだろう?今から行くだろう道は、ぼくのこれからの人生の選択の道であり、そして自分自身へ向かう道だった。ヒマラヤの神々の新たなる問いかけだった。ならば、僕は青春の道をとりたいと思う。巡礼者の道をとりたいと思う。探求者の道をとりたいと思う。」と書いて、巡礼の道を選び、何日もかけて2つの峠を登ってきて、そしてこのカムバ峠の標高差1200mを、ヤルツァンポ河畔まで自転車で一気に下ったのだ。彼の考えに共感した自分が、今この峠に立っていることにいいようもなく感動した。
ところが、この峠を下り始めてすぐ、いやな現実に直面した。峠の頂上に土産物屋があり、記念写真用のヤクなども客待ちをしているのだが、我々のバスはそれを無視して頂上を少し行きすぎたところまで行って止まって観光し、そのまま帰ろうとした。ところが峠に一杯張られているタルチョという旅の安全を祈る五色の布のロープが垂れ下がっていて、バスに引っかかってしまった。バスを止めてガイドが崖を登り、ロープを引いてバスを通した。わざとロープを緩めて引っかけ、切れたロープの弁償をさせる手口で、500元(8000円)の請求をするのだという。あくどいやり方だ。しかし、何とかガイドが経験にものを言わせて切り抜けた。