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 実は今までの観光は、言ってみれば前菜のようなもので、これから本番の旅が始まろうとしている。とりあえず、レストランで郷土料理をいただいて、それから西寧駅へと向かった。待望の世界一高い場所を走る青蔵鉄道の二等寝台車に乗るのだ。バスの窓に西寧の駅が見えてくる。思わず胸が高鳴った。旧ソビエト時代の建築様式で建てられたという西寧駅は、なるほどロシアの雰囲気を醸し出している。バスを降りると駅周辺にはすでに大勢の乗客たちが犇めいていた。やっぱり中国人がほとんどで、大きな声とけんか腰のようなしゃべり方をするので、なんとなく怖い感じがする。
             
  西寧の郷土料理はつまり中華料理だ    西寧駅が見えてくると胸が高鳴った    駅に集まってきている中国人の乗客たち
 駅の待合室にはいると、かなり広いスペースがとってあるにもかかわらず、ぎゅうぎゅう詰めの感じで先が思いやられる。中国人のマナーはアメリカなどから批判されているというが、その一つである列への割り込みを目の前で見せつけられた。私たちが並んでいるのに集団でその前になだれ込んできた。添乗員も苦笑いしていたが、指定席なのだからあわてることはないと思いつつも、我先にという集団心理に踊らされてしまう。
             
  広い待合室もすし詰め状態だ      私の乗車券は14号車19番上段だった(拡大)   天空列車は夜の西寧駅を音もなく発車した
 改札が始まると、まるでバーゲンセールの開始の時になだれ込む買い物客のように、乗客がホームになだれ込んだ。なぜこうも必死になるのかと思いながら、自分も最後尾の車両の方へ急いだ。なにせ寝台車故に通路が狭い。それに大きなスーツケースを引きずってのこと、やっと自分の席にたどり着いたが、そこにはもう中国の人が一杯いて、とてつもなく大きな声でわめいている。私も負けてはならじとスーツケースを引きずり込んで下段の寝台の下に押し込んだ。添乗員に、場合によっては荷物をおく場所が無くなるかもしれないと警告されていたので、これで一安心と思いきや、二等寝台の6人の部屋には上段と下段が私たち夫婦、後の4人は中国人ということになった。下段の窓側に2人座ってだまっていると、中国人たちはけたたましくしゃべり続ける。ほとほと閉口しそうになって困っていたら、助け船がきた。別の部屋で日本人ばかりのところへ、中国人たちの仲間が2人で困っているから、替わったらどうかというのである。これこそ渡りに舟である。早速替わってもらったら、なんとそこには幸運にも我々の現地ガイドもいたので、日本人4人と現地ガイド同室という願ってもないメンバーとなった。
 ラサ行きの天空列車は夜の西寧駅を音もなく滑り出し、乗客たちの興奮した話し声が続いた。少したつと消灯になったが、洗面所近くなので少し明るくて助かった。家内が中段で私が下段で、眠りについた。夜中に一度目が覚めて、少し頭痛の予感がしたので意識して深呼吸をするようにした。