タール寺誕生のきっかけとなったツォンカバ大師は、16歳でチベットのラサに修行に出、厳しい修行の後近郊にガンデン寺を建て、弟子を育てた。その弟子がやがてチベット仏教界を主宰するダライ・ラマとパンチェン・ラマとなるのである。
                     
          タール寺の伽藍の一つ                   数少ない記念写真
 タール寺の伽藍の中にはチベット様式が取り入れられていて、特にポタラ宮同様の茅を積み上げた濃い焦げ茶色の壁が目を引いた。ただ、伽藍の立派さとは裏腹に、見たくもないものもいくつかあった。下水の垂れ流しで、排水路に汚水がたまっていたり、トイレは足を踏み入れたくないほど汚いし、物乞いをする人の姿も惨めだ。だが、一番に度肝を抜かしたのは、物売りの逃走劇だった。観光客の中に割り込んできてアクセサリーのような土産物を売りつけようとしていた十数人の人たちが、いきなりものすごい勢いで人をかき分け境内の外へ一斉に駆け抜けていった。どこへ行ったのかと門の外を覗いてみたが、その人たちの姿はどこにも見えなかった。やがてその後から公安の車がやってきて捜索を始めた。命がけでそういうことをしなければならないという大変な人たちの姿を見たような気がした。 
                     
      奥の大金瓦殿と棟を重ねるように犇めく伽藍        向こうの山の中腹まで広がるタール寺の境内
 タール寺には宝が三つあった。一つ目は壁に描かれた絵、二つ目は貼り絵、そして三つ目は酥油彩花といわれるヤクのバターで加工した人物や花の彫刻だ。どれもが信仰心の強さを伺わせるみごとな作品ばかりだった。
 タール寺を後にして、次は道教のお寺である北禅寺へと向かう。センターラインのない道路での渋滞とか、道路にたむろする人の多さとか、道ばたの粗末な建物などは中国の雰囲気そのものだ。それもそのはず、ここはまだチベットではないのだから・・・。

                     

       街路樹には虫除けの薬が塗布してある            道教のお寺北禅寺の本堂(拡大)

 

 中国ではすべての道路に街路樹が植えられることになっているそうだ。したがって、その木の樹齢で道路の古さもわかるというもの。その木に真っ白の薬品が塗布されている。それだけ街路樹を大切にしていることがわかる。

 


           

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