7月29日(土)

 朝早く目が覚めたので、5:25に部屋を出てジョギングをした。ホテルの玄関は開いていて、警備員が立っていたので、「グッドモーニング」と声をかけ、外に出ると、やはり暑い日になりそうな暖かさだった。思ったより人通 りが多い。オートバイや自転車の多い中を余裕をもって走った。すでに屋台を開いて、シューマイやパンなどを売っていたり、スイカを積んだミニトラックの上でまだ寝ている人もいた。
 1kmあまり走って、また同じ道を引き返した。迷子になったら大変なので、自重しなければいけない。
 部屋に帰ると辰子も起きて、準備を終えていたので、朝の身支度をし、荷物をまとめておいて、今度は辰子と2人で朝食まで散歩した。


朝の無錫を散歩した 

 朝食は例によってバイキングだったので、ほどほどに食べた。8:00にホテルを出発し、無錫の観光に入る。
 無錫は錫を産出していたので、初め有錫という地名だったが、錫を掘り尽くしてしまって、無錫に変わったのだという。
 その無錫は、梅雨が明けてから1週間ほどとても暑くて、38°Cくらいの日が多かったそうだ。幸い今日は31°Cくらいに下がっていて助かった。無錫はその面 積の1/3を水が占めていて、古来から「魚米の郷」といわれた水郷の町だ。「南船北馬」という言葉の南船はこの運河や水路を利用する船のことをさしている。楠の並木が特に美しいと思った。


こんもりと茂る楠の並木

 最初の観光は太湖の遊覧クルーズだった。船着き場から小型の遊覧船に乗り込んで、琵琶湖の3倍はあるという太湖に浮かんだ。中国で4番目に大きい淡水湖だというだけあって、海としか思えない広さだった。
 昔、北は呉、南は越の国だったとき、「呉越同舟」という言葉が生まれたのもここだという。淡水魚が豊富で、特にしらうおが名物。そして青エビ、上海ガニ・コイ・フナ・ケイ魚などたくさんの魚介類が獲れる。それに淡水パールが特産で、カラス貝を養殖して、パールを産出している。「太湖を見ずして結構と言うなかれ。」というのは日本人向けのキャッチフレーズだ。
 「・・・鹿頂山(ろくちょうざん)から太湖を望めば・・・」という「無錫旅情」の歌詞が浮かんできた。その鹿頂山も少し霞んでいたけれど、頂上に三層の楼閣があって、名所の雰囲気を漂わせていた。



鹿頂山の楼閣が太湖を見下ろしている

 太湖の「太」は日本では「太い」だが、中国では「大きい・広い」の意味。太湖は2,200平方キロ。周囲の楠の並木道を1周するには、車で10時間かかるという大きさだ。
 


太湖に浮かぶ船

 現地のガイドが説明の中で、太湖に停泊している船が何をしているかという質問に、なかなかみんな答えられなかった。そこで辰子が「重油を売っている。」と答えた。ガイドは「油を売っているのだと。」言って、「重油」の意味を理解してくれなかったが、説明をして何とか分かってもらって、賞品だといって小さな人形をもらった。 太湖では、行き交う船のために、湖上で重油を売っているのだ。
  

 


 

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