そしてこの神殿の中に、アレクサンダー大王の大理石の像が後から加えられていたが、いかにも間に合わせに見えて、滑稽でさえあった。こんなのを見ていると、せっかく造営した神殿を次の代や後世の王が作り替えたり、増築したり、壊したりしている。権力の偉大さとともにその空しさも示しているように思われる。 人生は「騏驥過隙(騏驥の馳せて、隙を過ぐるに異なるなきなり。)という実感だ。王たりとても、一生のはかなさに消えて、結局蘇ることはない。また大神殿も、後世に残るとはいえ、実はむなしい瓦礫にすぎない気がする。


夕日に映えるルクソール神殿

 神殿を出ると、周囲で必ず立派な体格の現地の男が物売りにくる。中国の桂林ほどにしつこくはないが、ガイドのナナさんがnoという意味の「ララ」と言いなさいと教えてくれたので、「ララ」と繰り返しながら歩いて、バスに乗り込む。
 午後の観光は西岸の、王や王妃のお墓だった。朝、エドフから下ってくるとき、西岸の奥に薄褐色の山が見えた。「あれが王家の谷ではないの。」と辰子が言ったとおり、山が少ない中で、珍しく目立つ岩山がその王家の谷のある山だった。


西岸の奥に見える岩山に王家の谷はあった

 王家の谷では2つの墓しか中へ入らなかったけれど、ラムゼス3世の墓の中は実に見事にレリーフが張り巡らされて、豪華だった。けれど、セティー2世の墓は、途中で王が亡くなったため、レリーフの下絵だけの部分とか、穴も掘りかけという、未完成のままの墓だった。
 古代の王はピラミッドを造ったが、これが盗掘されるので、やがて盗掘を免れるため、深い谷に穴を掘って墓を造るようになった。この谷はそのためには実にふさわしい場所だ。


バスで王家の谷へ入る


谷に行くまで土産物屋が並ぶ

 残念なことに、王家の谷に入る前に8ミリビデオは預けなければならず、撮影は全くできなかった。けれども、この神秘な場所へ立ち入ることができて、しかもセティ2世のミイラや、鮮やかな壁画や、ミイラを作るための解剖台などを見ることができ、おまけに歩いて帰る途中、辰子がオシリス神の頭の部分のパレットのかけらを拾って、持ち帰ったのは大収穫だった。


王家の谷のある山にはどことなく威厳が感じられる


セティー2世のお墓の入口

 お墓の入口は元々は崩れた岩石で覆って隠されていたが、それでもほとんど盗掘された。しかし、有名なツタンカーメンの墓は、18歳という若さで亡くなって、墓も小さく、そのために盗掘を免れていたのである。

 

 

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