8月24日(水) 西安 晴れ
華清池 兵馬俑坑 西安碑林 空海記念堂
今日、まずびっくりしたのは、パトカーの先導だった。西安市内の渋滞の中を、パトカーがサイレンを鳴らして突っ走る。そのサイレンを聞いて、車も自転車も道路を空ける。時々混雑していて、避けられない車に対して、パトカーから叱正が飛ぶ。その後を私たちの1号車を先頭に、4台の観光バスが続くというわけだ。こんなことがあっていいのかと、一瞬現実を疑った。街路には物を売っている自由市場の人や、ぼんやりと立っている人でごった返していたが、その人たちが一斉に何事かとパトカーを見る。その光景に何か気分よくなっている自分に驚いた。得意になってはいけない。竹下総理一行にホテルを取られたとき、不愉快だった気持ちと矛盾するではないか。
しかし、気持ちよく渋滞をすり抜け、田舎道をスピードをあげて走って、順調に日程通り進んだので、とてもありがたかった。もしパトカーが先導してくれなかったら、渋滞で身動きできず、4台のバスは離ればなれになって、見学の予定が立たない状態になっただろう。中国政府が、外貨獲得のために、観光資源を売り出そうとしている政策の一端を見る思いがした。
最初の見学は華清池だった。現地の人たちが見守る中、パトカーとともに駐車場に入り、土産物を売りつけようとする人たちの間をくぐり抜けて、華清池に入る。
玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地として有名で、4月から10月の期間、この地に住んだのだという。温泉三昧と美貌の楊貴妃に心を奪われた玄宗皇帝は、政治を忘れ、没落していくことになる。傾国とはまさにこのことだ。西安事変もここで起こり、蒋介石が襲撃された弾痕が建物に残っていた。
玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台となった華清池の前で(拡大)
華清池を後にして、再びパトカーについて走り、しばらく行くと、右手に緩やかな山が見えてきた。それが始皇帝のお墓、始皇帝陵だった。中国統一を果たした始皇帝が、即位と同時に70万人の囚人を使って自分の陵墓を作らせた。高さが55m、周囲が2,000mもある大きなもので、36年かけて作り、37年目には亡くなってここに葬られてしまったわけである。地下には地上と同じ条件の地下宮殿が造られ、そのために働いた技術者は、秘密を守るために生き埋めにされたという。
また自動発射の武器が設置されていて、盗掘を防いでいるということだ。 しかし、もっと驚いたのは、次に行った兵馬俑坑だった。大きなドームに覆われた発掘現場に並ぶ兵馬俑を見て息を飲んだ。百姓が畑に井戸を掘っていて、偶然、陶器の兵士が出てきて、20年ほど前に発掘されたのだそうだ。
2,000年前の始皇帝の近衛兵や騎馬の人形たちで、それぞれ顔かたちが違う。第一号坑から3号坑まであり、全部で8,000体はあるだろうと言うことだ。一斉に東を向いていて、それは当時始皇帝が最も恐れ、しかも、苦しめられていた匈奴のいる方角だった。
次のページへ 前のページへ toppageへ INDEXpageへ