クラクフの宿ホテルショパンを出発して、この日はいよいよアウシュヴィッツへ向かった。大変な場所だと分かっているだけに緊張もある。人家の少ない原野に入って行くと、ポーランド語でオシフィエンチムという所に着いた。そこにアウシュヴィッツ絶滅強制収容所があった。多くの観光バスが既に駐車していて、世界中から来た見学者がグループ毎に歩いている。世界最悪の負の世界遺産だからこそ、一度は見ておくべきだという人たちが多いという。

 アウシュヴィッツ博物館の展示は、内容があまりにも重すぎるので、別のページで取り上げることにして、ここでは有名な ARBEIT MACHT FREI という標識の掛かった門の写真だけにとどめる。

 

7月27日(火)
クラクフのホテルショパン(拡大)

働けば自由になると書いてあるが実は死ぬまで働かされた アウシュヴィッツのPAGEへ  気が向かない人は入らないで下さい


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国境を越えてポーランドから再びチェコへ入る(拡大)
 

 アウシュヴィッツ絶滅強制収容所の見学を終えて、重い心を引きずりながら、バスに乗り込んだ。何か大変なことが終わったという安堵感も少しはあったが、もっと歴史の勉強をしなければいけないという気持ちも強く残った。

 バスは再び国境を越えてチェコへ入る。ボヘミアの穀倉地帯を走ってオロモウツという街へ向かう。

 オロモウツに着くと、市庁舎の周りに広がるホルニー広場に世界遺産の三位一体の碑が突っ立っていた。父なる神と子のキリストそれに精霊の姿が塔のてっぺんに輝いている。そのほかにもカエサルの噴水やヘラクレスの噴水などがあり、とても雰囲気のいい広場だ。時間的にも余裕があったので少し休憩しながらくつろいだ時間が持てた。 

正面のキリストの誕生の彫刻(拡大)

 

 

 街に下りると、ガウディーゆかりのカサ・パトリョやカサ・ミラを車窓から見て、そのあとかの有名なサグラダ・ファミりアを見学した。奇妙な形をした建物だと思っていたが、ガウディーが建て続けて、彼が亡くなった後も連綿と建設が続けられている、「聖家族」という教会だと知って、急に親しみがわいた。

オロモウツのホルニー広場に立つ三位一体の碑(拡大)

市庁舎とホルニー広場(拡大

三位一体の碑の下でくつろぐ孫の航大と妻のたつ子(拡大)
三位一体の碑の上部 父と子と精霊が輝いている(拡大)