アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)からわずか3kmほどのところにアウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウ(ブジェンジンカ)がある。敷地も非常に広く、スケールが大きくなり、造りはバラックの粗末なものになった。絶滅収容所として速く多くのユダヤ人たちを虐殺する必要があったからだ。そこで目立つのが鉄道の引き込み線だ。最初に説明したように、ここまで貨物車両に詰め込まれて運ばれてきた人たちは選別されてそれぞれの地獄へと進んでいったのだ。
やがて戦況が変化してドイツの敗色が濃くなり、ソ連軍の侵攻が迫ってきたため、囚人たちは証拠湮滅のためドイツ本国へ移送されることとなる。いわゆる「死の行進」で、極寒の中を歩かされ、倒れた者は銃殺されて、おびただしい数の人が亡くなっていったという。 そして収容所も虐殺の証拠を残さないように、ナチス兵がガス室や焼却炉などを爆破し、収容棟もほとんど爆破したが、ソ連軍が間近に迫ったため、途中で爆破も放棄して逃亡した。そして1945年1月27日ソ連軍とポーランド軍によりアウシュビッツは解放されたのである。
忌まわしいことは知らない方がいいとか、知りたくないという人もある。私も太平洋戦争で日本軍が玉砕した戦地の映像などに目を背けることがある。けれども「真実を知ることは大切である。」 と思っている。「真実」は難しいかも知れないが、なるべく真実に近いことを知る努力はしたい。
今回アウシュヴィッツを見学できたことで、もっと世界の歴史を知りたいという気持ちが強くなった。それはこの旅行でプラハやクラクフやブダペストの観光をしながらも思ったことだ。これからも旅行を続けたい。 〔完〕