フィンランド


幻想のオーロラと

  シルッカ・ロバニエミ・ヘルシンキ 8日間

1995.12.23〜12.30


12月23日(土) 晴れ


 中国道、近畿道、阪和道を順調に車を飛ばして、りんくうタウンの駐車場に車を置き、少し早めに関空に着いた。
 しかし、フィンランド航空のAY917便は2時間程度遅れて離陸した。空のダイヤが混みすぎていて、なかなか飛べないらしい。それから11時間弱の飛行機の旅となる。飛行機にもだんだん馴れてきたとはいうものの、今日は少し長く感じた。空は上天気で、冬には珍しいフライト日和だった。
 シベリア上空を飛びながら、下界の冬景色、特に蛇行した川の流れの美しさに、ビデオを撮り続けていた。 

        

     シベリアの川の蛇行 完全に凍結している

 

 23日の午後1時頃発ったのに、シベリア上空で日が沈み、糸のような月と宵の明星がまたたき始めると、それがしばらく続き、また少し空が白んできた。23日の夜を遡って、夕方にフィンランドに着くという奇妙な現象になる。

        

     雲海の空に残る残照

 

      
        まさにシベリア大陸横断飛行だ


 ヘルシンキに着くと、すぐにキッテラへの飛行機に乗り換えた。それから少し眠ってキッテラに着く。さすがに北極圏の町らしく、雪を踏むとキュッキュッと鳴る。気持ちのよい雪だった。
 ところがいくら待っても、私のスキーバッグ(2本入りのスキーケース)が出てこないので、係りの人に尋ねてもらうと、積み込んだ人の問題で、私には関係ありませんという返事だった。なるほどこの人に言ってもだめなのだ、とあきらめて、次の飛行機が着くまで待っていると、1便遅れて届いたので、心配はしたけれど、事なきを得た。

      

          問題のスキーバッグ 

 キッテラからバスに乗り換えてシルッカまで雪の中を走った。北極圏から北へどんどん入って行く。経験したことのない寒さの中、やっと今日の宿に落ち着く。家族4人で1軒のコテージを借りて泊まり、食事はホテルのレストランまで出かけることになる。
 夜遅くなったので、オーロラを見るのは明日の楽しみにとっておいて、暖炉の温もりの中、北極での初めての眠りにつく。



12月24日(日) 晴れ


 ホテルのシルカンタハティーは、このLeviの町のすべてといっていいほどだ。中心になっているホテルの本館を取り巻くように、コテージが林立しているだけで、他にはレビマーケットとスキー場以外に何もない。
 朝食はホテルの本館のレストランまで約2、3分のところを歩いて行く。
 バイキングの朝食は、魚の刺身のような料理が多く、美味しかった。新鮮な野菜のサラダも舌を潤してくれた。
 帰りにすぐそばのレビマーケットに寄って、買い物をした。果物、お酒、スナックなどで、7,000円程度になった。物価はひょっとしたら日本より高いかもしれない。1FMRK(フィンランドマルカ)が25円程度のレートになる。ロング缶 のビールが10マルカ強で260円くらい。
 そんなことより、今日驚いたことが二つあった。一つ目は夜が明けないこと。朝食に8時頃出かけたのに、真っ暗で、10時頃スキー場に出かけるとき、やっと夜明けの感じ。そして、明るくなるのと、太陽が昇るのを待っていたのに、とうとう太陽は姿を見せずに、午後2時頃からどんどん暗くなっていって、4時頃にはもう真っ暗な夜の感じになってしまった。いくら冬とはいえ、夜が明けきらないで暮れていくのは心細い。スキー場も一日中照明灯がついていた。
 


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