またアウトバーンを疾走して、折から降り出した大雨の中を、ハイデルベルグへ向かう。少し寒いくらいの気温になった。バスは150km/hくらいで飛ばしていたが、少し眠ったりしているうちに、ハイデルベルグに着く。宿舎のレガホテルはまたとても素晴らしく、ゆったりとした豪華な部屋で、浴室などはすべて大理石で出来ていて、辰子は驚喜していた。明日は強行軍だそうだから、今、PM 10:00 だけれど早く休むことにする。




8月27日(日)曇り 晴れ


 朝、ハイデルベルグの街を散歩しながら切手を探したが、見つからなかった。早すぎてどこの店も開いていなかった。
 最初はハイデルベルグ城の見学だった。ライン川の支流である、ネッカー川の流れのほとりの山の中腹に、ハイデルベルグ城が聳えていた。あまり高い塔などはなかったが、22万リットル入りの、世界一のワインの大樽があり、ワインの試飲をして、そのグラスが記念に貰えた。



     
      
ハイデルベルグ城の正面(拡大)


 ハイデルベルグ大学もあり、『アルトハイデルベルク』の舞台となった店などもあった。文豪ゲーテが住んでいた家もあり、今はパン屋さんになっていた。

 



                                               
 

                                                  ゲーテの住んでいた家(拡大)

 
 ハイデルベルグからローデンブルグまでは古城街道と呼ばれ、50もの古城が街道から眺められた。


 

山の上の古城(拡大)

 
 ローデンブルグからアウグスブルグまでは、ロマンチック街道と呼ばれ、ドイツの田園風景が続いていた。ドナウ川もその上流の小さな流れを垣間見ることができた。
 ローデンブルグの街の広場で、仕掛け時計を見ていたら、国語学者の金田一春彦博士を見つけ、辰子が早速話しかけて、畏れ多くも写 真を一緒に撮らせてもらった。



 

窓辺の花が美しいローデンブルクの街並み(拡大) 

 

 
  金田一春彦ご夫妻とともに(拡大)


 アウグスブルグでの宿は、アルペンホフ・アウグスブルグホテルだった。そして、晩餐はミュンヘンのハッカーケラーというビヤホールでの飲み放題、食い放題だったので、2リットルのグラスでミュンヘンビールを2杯も飲み、すっかりフィーバーして、辰子と初めてダンスを踊った。辰子はプロでも、私には苦手のダンスなので、かっこよくとはいかなかったが、同行の人がビデオに撮ってくれた。

 

 

 

ビールを手に最高にご機嫌の二人

 そんなわけで、ホテルに帰ると、風呂に入り、バッタンキュウ! 

           
   このあたりまで旅をしてきて気がついたこ との覚え書きをしておくと、
  1. パジャマを持つこと。
  2. スリッパを持つこと。
  3. 体を洗うネットのタオルを持つこと。
  4. 歯ブラシ・歯磨き粉を持つこと。
  5. 傘を持つこと。
  6. 少し詳しい世界地図を持つこと。
   以上のようなことだ。



8月28日(月)曇り時々雨


 朝 5:00 には目覚まし時計で起きたけれど、出発が 6:30 だったので、とても忙しく、朝の散歩はできなかった。明日は 6:00 出発になるということで、だんだんと日程が厳しくなる。まず、ロマンチック街道の残りを走る。窓辺にぶら下げられた鮮やかな花が、相変わらず目を引く。 

 


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