今年のロンドンは晴天が多く、ロンドンっ子には幸せな年だそうだ。例年より太陽の光を多く浴びられるからだ。
 義貴の描いた地図をたよりに、細い路地を下がっていたら、その FANS という看板が路地の角に目に付いた。「あった。あった。」と二人で子供のように喜んで、なんだかロンドンの街を征服したような気になって、興奮して店に入ると、中は狭いながらTシャツばかりぶら下がっている。あれこれ選んで、結局11枚も買ってしまった。


FANS というTシャツの専門店の前で


 これで大仕事が済んだとばかりに、気をよくした二人は、昔、馬車が円形に回って方向を転換したので、円という意味をつけて、ピカデリーサーカスと呼ばれている広場の近くの、パブを見つけ、いわゆる通りに沿って並べてあるテーブルに掛けて、ビールを飲んだ。ここでは「ビール2杯」と言ってもダメで、Which beer would you like ? と聞き返される。ビールの種類を言わなければいけないのだが、それがすぐには出てこない。仕方なくメニューにあるものをウエイターに指で示す。なんとも原始的な方法だ。歩き回っていたので、ことのほかビールが美味しかった。




ロンドンの街角でのビール


 二人は気分をよくして、ピカデリー通りを南西の方向に下る。夕食の 6:30 には、必ず帰るようにと添乗員に言われていたので、今度はUnderground(地下鉄)の駅を探さなくてはいけない。間違えることのないように、ピカデリー線だけが通っているハイドロパークコーナーという駅を探す。 Where is the nearest underground station ? と中年のレディに尋ねると、早口で教えてくれたが、よくわからない。何とか指さした方向に向かって歩いていくと、Subway (地下道)の入口があった。そこから地下に入ると地下鉄の駅に出た。90ペンスの乗車券を2枚、自動販売機で買い、6つ目の駅、つまり昨夜下見をしておいた Hammersmith station で降りると、あとは勝手知ったるノボテルホテルのある一角。 6:15 にノボテルホテルに着き、フロントのCasher で両替に手間取ったものの、夕食の6:30 には十分間に合って、やれやれ。


 夕食はパン、ローストビーフ。デザートに昨夜もそうだったが、甘くて大きなケーキが出るのには閉口する。お腹が一杯だのに、苦手な甘いものはとても入らない。康二だったら喜ぶだろうと、辰子と話しながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
 部屋に帰ると急に疲れが出て、とりあえずベッドに寝ころんだら、11時過ぎまで寝込んでいて、目が覚めて大慌て。8ミリビデオのバッテリーの充電をしながら、この日記を書いた。1:04 になってしまった。



8月24日(木)晴れ


 5時前に目を覚まし、シャワーを浴びて、準備をする。朝食は飛行機の機内でとるということで、ホテルを 6:00 に出発。ヒースロー空港での待ち合わせの間、結構寒かった。
 飛行機はアリタリア航空でスチュワデスや乗客のイタリア語が耳にきつい。飛行機はまず、ドーバー海峡を渡った。そしてフランス上空を通過。そのあたりでは、何気なく過ごしていた乗客が、急にざわめきたったのは、飛行機がアルプスを越えるときだった。何と言って表現したらいいかわからない。まさに神々の箱庭とでも言うのだろうか、万年雪に覆われた急峻な峰々が、天に向かって屹立している姿に、新雪がきて一層美しいこともあって、機内のすべての乗客たちが歓声をあげて見下ろしている。
 ヨーロッパアルプスは子供のころからの憧れだった。モンブランやマッターホルンがどの峰かは定かではないものの、眼下に広がるパノラマは、しっかりと脳裏に焼き付いた。

 


上空から見たアルプスの峰々(拡大)

 3時間足らずでミラノに着き、すぐまた乗り継いで、ローマへ向かう。ミラノでは初めて US ドルからイタリアのリラに両替して、ビールを飲みながら、久しぶりの幕の内弁当のご飯を食べた。やはりご飯が懐かしかった。
 ローマ空港はずいぶん田舎だった。バスでローマ市内まで 40分もかかった。
 ローマではまずバチカン市国のサンピエトロ大聖堂の見学をした。巨大という言葉だけでは言い尽くせないほど巨大で、大聖堂の奥行きが 200 m、ドームの高さが 80 m、120年かけて完成したというとてつもない建物だ。とにかく、そのスケールに圧倒された。バチカン市国は、世界最小の独立国で、人口も神父さたちだけが 住んでいて、全部で 2,000人ほどしかいということだ。


 

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