だんだんと日暮れていく陽関の遺跡の傍らで、現地の農夫が水晶の原石を売りに来た。祁連山脈から採取した水晶の原石を、初め100元で買ってくれと言う。まずは半値に値切って、最終的には三分の二程度の値段で買うのが普通だと聞いていたけれど、思い切って30元にして欲しいと切り出すと、50元でないとだめだという。
それなら要らないと言うと、30元でいいと言い出した。ところが、持ち合わせていた細かいお金が22元しかなかったので、もうバスが出るし、22元しかないから買えないというと、それでいいと言って、話が決まった。なんか悪いような気がしたが、いい水晶だったので、うれしかった。



買った水晶を陽関の遺跡の碑の上に載せて記念写真を撮る(拡大)



 帰りは十六夜の月が空に漂う中、シルクロードをバスに揺られながらうとうとと居眠りしてしまった。辰子は月の砂漠の夜のドライブを楽しんだらしい。ホテルに帰ったらさすがに疲れている。この日記を書くのも辛かった。 
 何だか胃の具合も悪い。そういえば、今日の夕食は、竹下総理ご一行の敦煌訪問のために、私たちが被った不都合の穴埋めにと、現地のガイドが奮発してくれたらくだ料理のレストランで、ビールと中華料理はいつもの通りだったが、やがて羊や鶏やイノシシを手始めに、らくだの足・カエル・牛のペニスなどが出たので、調子に乗って食べたのが応えたらしい。おまけにアルコール52゜という敦煌酒を飲んだものだから、いまだにそのきつい匂いも、胃の中にあって苦痛で、辰子が持ち歩いている胃薬を、今日ばかりは私が飲むことになった。



8月23日(火) 敦煌 快晴  西安 曇り

 竹下総理ご一行が、我々が乗る予定だったジェット旅客機を利用されることになったということで、我々は2倍以上時間の掛かるプロペラ機で西安に行く羽目になりかけていた。ところが、一つ早いジェット機に乗れることになって、急遽西安に向かうことになる。むしろ早く西安に着くので、みんなで喜んだ。
 敦煌は快晴。ポプラ並木と自転車の多い道路を、空港へと突っ走りながら、鳴沙山や三危山と別れると思うと、一寸寂しい気がした。たった二日の敦煌だったが、ホテルや町中に漂う異様な匂いとともに、土臭い現地の人々の生活がなんとも懐かしいような気がして、このオアシスの町の印象をなるべく強く残しておこうと思って、ビデオカメラを回し続けた。



道ばたでリヤカーに積んだまま瓜を売っていた




敦煌では貴重な砂棗(すななつめ)の木




なんといっても美しいのはポプラ並木だ



 珍しく定刻に出発した中国西北航空のジェット機は、快晴の空を突っ切って飛ぶ。来るときはモンゴル側の風景ばかり眺めたが、帰りは祁連山脈が脈々と続くのを、驚異の声をあげながら眺めた。頂に真っ白な雪を残している、数千キロにも連なる山脈の、その雪解け水が、敦煌の町を育てたわけだ。




気分良く早朝の飛行機に乗る




延々と万年雪をいただく祁連山脈(拡大)



 やがて祁連山脈と別れると、今度は眼下に異様な縞模様が見えた。仮に等高線畑と名づけよう。
 

 


 

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