中 国
北京・敦煌・西安 6日間
1994.8.20〜8.25


8月20日(土) 晴れのち雨 北京は晴れ
 
 一人で留守番をして、25日には自分で松山の
愛光高校の寮へ出ていく康二が寂しそうで、少し辛い別れをして、岡山空港へ向かう。10時過ぎに、岡山空港の駐車場に着き、少し空くのを待って、屋根のある駐車場に車を入れ、集合場所へ早めに行く。そこで思いがけず、瀬戸農高で一緒だった森定先生ご夫妻と出会う。旅行のコースは同じではなかったが、奇遇を喜んだ。
 また、津山工高の先輩赤堀先生が同じコースで参加されていて、奇しくも同行することになる。
 飛行機は予定を少し遅れて、14:55に岡山空港を飛び立ち、1時間程度で上海に着く。ここで入国審査を受けて、また同じ飛行機に乗り込む。チャーター機によるツアーのため、多人数で、何かと時間がかかるのが嫌だが、中国という国に行くにはやむをえない。
 上海からは1時間20分ほどで天津に着いた。
途中機内食が出て、乾燥肉と豆の揚げたのとパンというのはまずかったが、中国南西航空の飛行機なので我慢しなければと思いつつ、この先の食事が思いやられた。
 天津からはバスに乗り換え、一路北京へ。
130kmの道のりの高速道路を、2時間かけて走り続け、北京に着く。

 




運河が目立つ上海の水田地帯 (拡大)



 ホテルに入る前に北京芸苑という中華料理のレストランで、本格的な中華料理の夕食をとる。味はやっぱり日本とは違う。辛かったり、さっぱりし過ぎであったり。
 北京市はすごい。人口1,000万人。一日に出入りする人口が100万人。広さが四国とほぼ同じ。自転車が多く、夏ということもあるが、道ばたに裸で車座になって楽しんでいる姿が目に付く。車も無灯火が多く、ある時期から、無灯火も省エネということで、違反ではなくなったということだった。
 ホテルは全日空系列の新世紀飯店という豪華なホテルだった。遅くなって着いたが、もうだんだんツアーに馴れてきて、遅く着いて早く出るというのが辛くはなくなった。今21日の0:16になってしまった。明日は6:00起床の予定。いよいよ本格的な観光が始まる。

8月21日(日) 北京は雨 敦煌は晴れ

 早朝、ホテルの窓から辺りを眺めると、木々の茂った公園のような広場で、多くの人が社交ダンスを踊っているのが見える。珍しい眺めだ。こんな点では日本より余裕がありそうで、のどかだと思う。


早朝の公園で社交ダンスを楽しむ人々(拡大)

 道路もそろそろ活気づいてきて、往来が激しくなる。車も走っているが、圧倒的に自転車が多く、リアカーも目立つ。


中国は自転車が圧倒的に多い

 ホテルのフロントで両替をする。今までヨーロッパやアメリカでの両替では、何となく不利な感じがしていたが、ここでは1元が12円というレートで、うれしい。1元タクシーが走っていて、つまり1kmの料金が12円ということで、とても安い。物価が20分の1というところか。
 今日の最初の観光は、天安門広場の見学だった。バスを降りてからかなり歩いたが、その道すがら、傍らに100年ほど前に建てられたレンガづくりの古い崩れかかった民家が残っていて、とても汚く平気で立ち小便をしていた。人民大会堂の目の前というところに、こんな汚点が残っているのも、いかにも中国らしい。
 天安門広場に着くと、その広さに圧倒される。100万人の集会ができるという広さは、日本では考えられない広さだ。歩いても歩いても天安門は遠い。そして多くの人が歩いている。外国人も多いが、中国のお上りさんがほとんどだとガイドが説明する。中国は国土が広すぎて、地域によって言葉が違い、まるで外国人のように言葉が通じないのだという。


天安門広場で(拡大)

 

 


 

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