チェスキークルムロフの美しさを脳裡に残しつつ、次の世界遺産ホラショヴィツェへと向かう。本当に広い平原にライ麦がびっしりと実っている。世界的なビールの生産・消費国であることが納得できる。

 ホラショヴィツェがどうして世界遺産なの?と疑問を呈する人が多いという。なるほど、同じような建物が綺麗に並んでいるが、規模としてはあまりにも小さい感じがしないでもない。向かって右に両親の家があり、中央に入口の門があり、左側に長男夫婦の家が建っているという、南ボヘミア地方の田舎風バロック農家とでも言うべきものだ。この通りに並ぶ農家が完全に修復されているという。

この日はちょうど「農業祭」というお祭りが行われていて、地元の人たちで大賑わいだった。屋台もたくさん出ていて、その賑やかさにごまかされて、ホラショヴィツェを大目に見てしまったかも知れない。 

ボヘミア地方の農村を走り抜ける(拡大)
ちょうどこの日は「農業祭というお祭」りだった

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 ホラショヴィツェではお祭りの屋台に面白い物を売っているので、そればかり見ていたら、添乗員が「今日は店の物を見に来たのではありませんよ。建物を見て下さいよ。」と言われて、みんな苦笑いをした。でもこの建物群は一見の価値はあったと思う。

 再びバスに乗り、プラハへ向かう。ボヘミア地方の大平原は、山ばかりの日本に暮らしている私たちには驚異ですらある。どこまで行っても麦畑が続く。気が遠くなるような眺めだ。やがて家並みが増えてきて、プラハに入る。 

 

美しいホラショヴィツェのバロック風農家群(拡大)
ボヘミア地方の農村を過ぎる 一面の麦畑だ(拡大)

やがてバスはプラハの街に着いた(拡大)

正面のキリストの誕生の彫刻(拡大)

 

 

 街に下りると、ガウディーゆかりのカサ・パトリョやカサ・ミラを車窓から見て、そのあとかの有名なサグラダ・ファミりアを見学した。奇妙な形をした建物だと思っていたが、ガウディーが建て続けて、彼が亡くなった後も連綿と建設が続けられている、「聖家族」という教会だと知って、急に親しみがわいた。