小松徹のフルマラソン挑戦記
小豆島タートルフルマラソンの思い出

 市民マラソンが盛んになってきて、私もマラソンレースにのめり込んでいったころ、小豆島で中高齢者のフルマラソン大会、小豆島タートルフルマラソン大会というのがあることを知った。フルマラソンに挑戦してみたいと思っていた矢先だったので早速要項を取り寄せ参加の手続きをとった。

 初めての大会はスタートに失敗した。かなり早くから準備をしていたのだが、スタート時間までにかなり時間があったので、もう一度用心のためにトイレに行こうと思ったら長蛇の列で、やっとトイレを済ませてスタート地点に行ってみると、スタートラインからあわや100mはあろうかと思えるほど後方まで選手がびっしり並んでいた。その後ろに並んで遙か先のスタートラインまでの群衆を見たとき闘志が湧いた。抜いてやるぞ!と。

 ところがスタートのピストルがなったのにまったく動けない時間が続き、やっとぞろぞろ動き出しても走ることはできない。何分かはそれで過ぎてしまった。やっと走れるようになったので、人人人の間をすり抜け、お店の軒下を走ったり、ちょっとでも隙間があればそこをすり抜けて、多くの選手を抜いていった。しかし、マイペースで安定した走りになるまでにかなり疲れをため込んでしまっていた。

 折り返し点には1時間25分台でついたので、3時間は切れるかもしれないと思ったのはとても甘い考えで、30km当たりでペースが落ち、35kmを過ぎてからは、沿道の応援も励みにならなくなった。歩くのだけはやめようと思ってがんばって、やっとゴールにたどり着いた感じで、結局3時間08分というタイムだった。

 2回目のこの大会では、1回目の反省から、スタートの先頭に立つことに努力した。と言ってもそれは待ち時間の退屈さを我慢しさえすればいいわけで、スタート時間より1時間も早くスタートラインの先頭に立ってスタートを待った。それでもだんだんと選手が並んできて、遅く来た人が前に出ようとしたり、知り合いの人のそばに割り込んでくる人がいたりして、そこにはまたそれなりのせめぎ合いがあった。

 念願の先頭でのスタートは成功した。今度こそ3時間を切ってサブスリーと呼ばれる一人前のマラソンランナーになりたい。スタートのピッチを落とさないように先頭集団には遅れたものの、ハイペースで走った。しかし今度はその気負いが裏目に出た。オーバーペースになってしまったのだ。折り返し点では1時間21分台で行けたのに、35km当たりから足が痛くて走れなくなった。呼吸がきついのではない。足がもたなかったのだ。へたへたと走ってやっとゴールイン。3時間06分にとどまってしまった。

 2回もサブスリーを逃してしまったので、今度こそはと練習も積んで乗り込んだ3回目の大会は、先頭はさけたものの、まずはスタートラインの前の方に並び、そしてレース中はペース配分に最重点を置いて走った。前半に少し押さえ気味に走って、魔の35km地点以降もまともに走れるように体力を温存したつもりだった。しかしやはり35km当たりから足が出なくなり、ピッチが極端に落ちた。何人にも抜かれた。でもついていけない。またしても3時間07分もかかってしまったのだ。ゴールインしたときもう駄 目だと思った 。自分にはサブスリーになる力は無いのだと。

 それでも4回目に挑戦したが最悪の3時間11分という悲惨な結果だった。もうサブスリーは諦めるしかない。寄る年波には勝てないのだ。
 42kmも走りきったのだからよかったじゃないの。と、励ましてくれる家族に、ありがとう。もう満足だ。これでやめる。と、晴れ晴れとした気持ちで宣言した。42kmを走ることの大変さを、身をもって知ることができただけでもよかったと思う。



フルマラソン4回の完走証(植木は旧姓)

 

 


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