部屋に置いたままにしていた荷物を、全部ゴミと一緒にして、捨てかけていたのだ。
びっくりして、ゴミの袋を力ずくで引き下ろし、かきまわして大切な自分の荷物を探した。こぼれた牛乳などで、汚れて悪臭のする袋の中に、なんとこの旅行で一番大切な8ミリビデオとカメラで取り終わったフィルムが全部捨てられかけていたのだ。さらに、ビデオのバッテリーの充電器や接続コードなどもゴミ袋の中から出てきた。辰子のハイヒールは女の子が自分のものにしようと、別の袋に隠していた。悲鳴をあげても、言葉は通じないから、とにかく品物を取り戻すしかない。二人で必死になって、なんとかフィルムや充電器は取り返したが、ハイヒールは「モン、モン」(自分のもの)と言ってなかなか返してくれなかった。土産にするつもりでいたカマンベール・チーズを渡して、半ば力ずくでハイヒールを取り返した。

 
ホテル・プルマンサンジャックの遠望




 それでやっと一息ついて、部屋で片づけをして、午後 1:30 にホテルのプルマンサンジャックをバスで出発、帰路についた。
 まずシャルルドゴール空港からフランクフルトへ向けてルフトハンザ機に乗る。シャルルドゴール空港は、成田空港の 3.8 倍の広さがあるということで、素晴らしい空港だった。曲線的な建造物が多く、まるで宇宙ステーションみたいだと、辰子と話し合った。1時間ほどのフライトだったが、思いがけず食事が出て、ビールやワインもいただいて、少々ご機嫌になった。

 
雲の上を飛ぶルフトハンザ機の窓から


 フランクフルト空港では、3時間もの待ち時間があり、一杯機嫌で居眠りしながら、ソファに腰掛けて休んだ。
 いよいよ J A L の成田行きに乗れば、眠っているうちに成田(日本)に着くはずだ。長かったが、充実していた12 日間が、これで終わる。この経験が、今後どのように生きてくるか楽しみだ。






あとがき

 1999年の春、壷内先生にいただいた「シンガポールの旅」という冊子があまりにも素晴らしくて、自分も旅行先で書いた日記を整理してみようと思い立ち、夏休みになって、早速パソコンに向かった。慣れないことばかりで失敗の繰り返しだったが、何とか最初の旅行だった「ゴールデンルート・ヨーロッパ」の旅日記をまとめることができた。
 内容はプライベートなものが多く、また偏見に満ちている嫌いがあるが、これが初めての私たちの海外旅行の実感だった。
 当時のままの記録なので、すでに時代遅れのことがらも多い。まだソ連や東西ドイツというような国が存在していた頃だったので、そのままの表現にしている。
 このあともできたらアメリカ編・中国編・エジプト編と続けていきたいので、ご叱正をお願いできれば幸いです。


                            1999.8.29   
                                   小松 徹 







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