エジプト漫遊の旅
1996.12.23〜1997.1.1

12月23日(月) 
 最初の海外旅行でヨーロッパへ出かけた時は、次男の康二を蒜山の実家に預けて出発したが、あれから7年も経って、康二も高校2年生になり、蒜山の母もこの夏逝ってしまったので、康二は一人津山に残すことにした。
 折しもペルーのリマで、外国大使など400名以上人質にして、日本大使公邸をテロが占拠するという事件が起こり、また、旅行先であるエジプトも過去に観光客を巻き込むテロ事件があったということも聞いていて、康二を一人残すことの心配と、旅行先への不安とが相まって、出発に際して、弾んだ気持ちにはなれなかった。
 この日は、朝早い出発だった。5:10にタクシーで津山駅まで出、5:33発の岡山行から新幹線に乗り換え、関空へは9:30ごろ着いた。
 シンガポール航空の985便はシンガポールに17:40に着いた。そのあと乗り換え時間が4時間以上もあったので、シャワーを浴びたり、空港内を散策したりして過ごし、再びドバイへ向けて飛び立つ。
 サウジアラビアのドバイまでは、7時間かかった。ニュースなどでよく聞く地名なので興味があったが、燃料補給のための着陸なので、飛行機から降りられず、何も見ることはできなかった。


夜のドバイ空港


 夢のカイロへは翌日24日の朝、現地時間で6:10ごろ着いた。実際の飛行時間は20時間ほどだった。
 カイロ空港はちょうど夜明けだった。カイロの街が、朝日に染まって美しかった。


朝日に染まるカイロの街

 空港からバスに乗り込むとき、現地の人が荷物を積んでやる、と親切に言ってきた。するとすぐ、警官がやってきて制止した。勝手に荷物の積み込みを手伝って、後でチップを請求するのだそうだ。それがエジプトの普通 の国民性だという。感覚が違うので注意が必要だ。


バスに近寄ってくる人たち

 カイロの人は9割がイスラム教徒で、1割がキリスト教徒だそうだが、平和に共存して暮らしているという。
 今回の現地のガイドはカイロ大学で4年間日本語を学んだというナナさんという若い女性だ。ナナさんによると、なんと、国立のカイロ大学の1年間の授業料が1500円だというのには驚かされる。小学校5年、中学3年、高校3年の学制だという。
 通貨は£E(エジプトポンド)とpt(ピアストル、1£Eが100pt)で、ギニーとサアともいう。とにかく紙幣は汚い。脂の染みついたぼろぼろが多い。手にするのがためらわれる。


ガイドのナナさんが通ったカイロ大学のドーム


エジプトの人は多くガラベーヤ(寛衣)を着ている


 エジプトの人は多くガラベーヤという寛衣を着ている。暑さをしのぐにはいいらしい。

 


 

   次のページへ       前のページへ       トップページへ