夢のアメリカ一周 8日間


1990.8.26〜 9.2



8月26日(日)


大阪空港→成田空港→ワシントン・ダレス空港                            

 いよいよ海外旅行の2回目、「夢のアメリカ一周 8日間」の出発の日がやってきた。今回も出発まであわただしかったが、それでも馴れたせいか、昨年よりはましだった。
 次男の康二は18日に落合の教室の帰りに、蒜山に連れていって預けたし、長男の義貴は23日に出張を兼ねて、荷物だけ私が寮へ運び、本人は24日にとりあえず鳥取に行って、祖母に買い物などしてもらい、26日、つまり今日岡山高校の寮に帰ったはずだ。


 私と妻の辰子の二人は、25日も落合の教室を済ませ、家に10時前に帰り、庭の水やり、洗濯などをして、10:30に出発。2時間で大阪空港に着いた。空港の駐車場が値上がりしていて、1日4,800円になっていたのにはびっくりし、ちょうど缶ビール探しに行った、空港近くの個人の駐車場が1日2,000円だというので、そこに駐車してその中で眠った。夜中の1:30ごろだった。


 26日は5:00に起き、空港まで荷物を運んでおいて、車を再び駐車場に置き直し、空港へ入り、ロビーで受付を済ませる。グループは11名と添乗員の計12名で、私たち二人が一番若く、熟年グループのツアーとなった。 
 成田空港では出国手続きが長蛇の列となり、海外へ出る人がこんなにも多いのかと改めて驚いた。手続きはすべて順調に済んで、全日空ANA NH002 ジェット旅客機は今、太平洋上空を飛んでいる。


 成田では辰子が蒜山にいる康二に電話をし、元気そうだったと、安心していた。今はお腹が空いている。
 13:30ごろ機内食が出た。待ち遠しかっただけに、ビーフの味がすばらしかった。
 そのあと、窓を閉めて眠った。夜が明け始めて、目が覚めてみると、カナダの上空を飛んでいた。五大湖の大きさがすごかった。ナイアガラの滝も上空から見えた。ワシントン・ダレス国際空港には、現地時間の10:30ごろ着いた。時差が13時間あるので、26日の11:00に出発して、12時間あまり飛行機に乗って、同じ26日の出発した時間より早く着くなんてどうも変だが、事実だ。


 ワシントンでは最初に、アーリントン墓地に行き、J.F.ケネディ元大統領の墓と永遠の火を見、弟のR.ケネディ氏の十字架と好きだった水を湛えた水槽を見た。その他無数に並ぶ戦死者たちの墓石には圧倒された。白い墓石が遙か彼方まで列をなしていた。観光客だけではなく、地元の人たちもバスを連ねて墓参していたのには感心した。
 昼食は官公庁の建ち並ぶクリスタルcityの中のレストランで、ランチを食べた。バイキングだったので、野菜と肉が十分食べられた。


 

   J.F.ケネディ氏の墓地の永遠の火 (拡大)   



R.ケネディ氏の墓には氏が好きだった水が湛えられている(拡大)




アーリントン墓地の戦死者の墓石の列(拡大)


 午後はリンカーン記念堂、ホワイトハウス、国会議事堂などを見て回り、最後に航空宇宙博物館を見た。ライト兄弟の飛行機から、現代の新鋭戦闘機、宇宙ロケット、月面着陸船など、実物がいっぱいだった。特に目を引いたのは、ソ連の核弾道ミサイルSS20の実物と、アメリカのトマホークだった。
 たどり着いた第一日目のホテルは、ザ・メイフラワーストファーホテル。実に巨大で豪華なホテルだ。ホテルはすべて五つ星だというキャッチフレーズを納得した。
 与えられた675号室は広くて素晴らしい。シャワーを浴びて、夕食の7:00まで一眠りしてしまった。やはり疲れている。そのあとホテルの近くを散歩したが、近くにはあまり見るものはなかった。
 夕食後は明日の活力のために、早く休むことにする。





リンカーン記念堂で(拡大)

 


次のページへ     前のページへ    Toppageへ   INDEX.pageへ