まえがき

 今回の板門店への観光は、ソウルに住んでいる長男に会いに行ったついでに、どこか珍しいとろへ

行ってみたいという私たちの希望に添って長男が準備してくれた。前もって予約してくれていたソウル

の旅行社で受付を済ませ、観光バスに乗り込むと、すでにアメリカ人らしい観光客が大勢乗っていて、

日本人はわずかだった。

 バスが自由路という高速道路を走っているあいだ、ガイドから非武装地帯の説明を聞いた。

 朝鮮半島は第二次世界大戦終結によって38度線を境界に、北と南に分断されたが、1950年に北朝鮮

が南攻してきて、ソウルも陥落してしまった。そこでアメリカ軍が仁川上陸作戦を敢行して反撃し、

平壌まで逆襲したものの、中国軍の介入で膠着状態となったため、1951年7月に休戦会議が始まった。

 非武装地帯は、1953年に結ばれた停戦協定に基づいて設置された休戦ライン(軍事境界線)の南北そ

れぞれ2kmの幅で設けられている緩衝地帯のことである。ここは世界でも珍しい、人間の立ち入ることの

出来ない場所となっているということである。

 バスは漢江からイムジン河へと車窓に鉄条網の張り巡らされている河畔を眺めながらかなり走って、

途中「古松」という焼き肉屋で昼食をとった。そこで富山県から来たという修学旅行の一行と一緒になり、

結局板門店の観光もこの一行とともにすることになった。

 板門店に着くと、異様な緊張感に包まれたこのJSA(共同警備区域)に入るのに、観光バスからおろ

され、厳重なチェック受け、アメリカ軍の別のバスに乗り換えなければならなかった。

 板門店は休戦会議に出席した中国の代表が会議場所の近くにあった店を「板門店」と表示したのが元だ

ということである。そこは休戦ラインを中心に直径800mの円形のような地域で、JSA(Joint security

Area=共同警備区域)と呼ばれていて、南北の会議を行う場所となっている。韓国兵や国連軍の兵士が厳重

な警備をしていて、日本にはない張りつめた雰囲気に少し緊張もした。

 そこで、この板門店の様子をつたない写真で紹介してみます。