コルベ神父は一時日本の長崎に滞在して布教活動をした人です。しかし、かつてから苦しんでいた肺結核がひどくなりポーランドに帰国しました。42歳の時だったそうです。その後ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、コルベ神父のいた修道院も占領され、コルベ神父は収容所に送られたのです。一度は解放されたものの、ユダヤ人ではなかったコルベ神父の、修道院での,、誰をも分け隔てなく大切にする生き方がナチスの憲兵の気に障り、刑務所へ入れられてしまいます。そしてついに死の強制収容所アウシュビッツに送られたのです。アウシュヴィッツでもコルベ神父は結核に苦しみながらも、他の囚人たちを励まし、希望を与え続けていました。そのためナチスからは特別の虐待を受けていたと言われています。
そんな夏のある日のこと、コルベ神父のいた14号ブロックから一人の脱走者が出ました。囚人たちは真っ青になりました。脱走者が見つからなければ、このブロックの囚人の中から10人が引き出され、見せしめのために餓死刑にされるからです。翌日の朝の点呼の後、残された14号ブロックの囚人たちは恐怖に震えながら、何時間も立たされていました。倒れる者が出ても棒立ちは続きました。そして夕方になって一人の大佐が現れ、餓死刑にかける者を選び始めました。大佐の恣意で重い刑罰の10人が決まりました。するとその中の一人が「ああ・・・俺には女房や子供がいる、死にたくない・・・」と叫んだのです。そのとき、囚人の列の中からよろよろと前へ歩き出た者がいました。それが、コルベ神父でした。「私を、あの人と代わらせてください。」 「なに!」大佐は狼狽し、囚人たちもびっくりしました。「私は神父です。女房も子供もいません。あの人を妻子の元に帰してやってください。」大佐はしばらくして「よかろう。」と言ってそれを認めたのです。
コルベ神父を含めた餓死刑の10人は、11号館の地下牢の餓死室18号室に入れられました。ここで水の一滴も与えられずに、枯れ草のようにしおれて死んでいくのです。しかし、この10人はいつもの受刑者とは違っていたそうです。マリア様に救われるというコルベ神父の教えが、受刑者たちに希望を与え、そのため、長く生き延びたというのです。特にコルベ神父は14日間も生きていたため、とうとう大佐が命令して、注射で毒殺したのです。コルベ神父はこのとき47歳でした。
なお、コルベ神父の身代わりによって助かった人は、ポーランド人で、90歳を越えるまで長生きしたそうです。
私はなぜコルベ神父が身代わりになって死んだか分かりません。キリストの教えのとおり、「友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」という教えを実践したのだ、と言えば簡単ですが。実際にできることではありません。私は色々考えて、次のように結論付けました。コルベ神父はいずれ死期が近いことは察していたと思います。このままのたれ死ぬか、ガス室に送られるか、そして灰にされてしまうのです。そこで、この大量虐殺を行う極悪非道の人間たちに対し、まるで反対の、人間のすばらしさ、強さをを示して死ぬことで抵抗したのだと。
コルベ神父は死後40年近く経って、ローマ法王から聖人の称号を受けましたが、それよりもコルベ神父の行為は現代も多くの人に語り継がれ、崇められています。人間のすばらしさ、強さを具現した人として。
一方、国民の支持を受けて突っ走ったとはいうものの、極悪非道の行為の先頭に立ったナチス総統ヒトラーは、1945年4月30日にピストル自殺をし、ガソリンで焼却されたうえ、中庭に埋められたという。影武者ではないかということで何度も調査のため掘り返されたあげく、最後は骨を灰にして、空からばらまいて雲散霧消したという。このコルベ神父とヒトラーの死後の違いこそ、人間が人間たる所以を物語っているといえるであろう。